PRISTINE 30th Special Interview
30年、これからも。前編
振り返ると、浮かぶのは、みなさんの顔でした。
「30年って、すごく長いですよね」
そうお伝えすると、奥森さんはこう答えました。
「でもね、あっという間なのよ」
1996年に生まれたPRISTINEは、今年30周年を迎えます。
アバンティへ入社し、糸づくりから製品をお届けするところまで、その歩みを見つめてきた会社の社長であり、ブランドクリエイティブディレクターである奥森秀子。
本人にとっての30年は、遠い未来を目指して進んできた長い道のりというより、目の前の一年を一生懸命に重ねてきた時間だったようです。
PRISTINEを共に歩んできた人。無理なお願いを引き受けてくれた工場のみなさま。言葉を届けてくださったお客さま。一緒に走ってきた仲間たち。
立ち止まって振り返ったとき、浮かんできたのは、出来事よりもみなさんのお顔でした。
このインタビューでは、あえて”奥森さん”と表現しました。私たちが日々接している、よく笑い、暮らしの小さなことを楽しみ、ものづくりの話になると止まらなくなる奥森さんの言葉を、いつもの距離のままお届けしたいと思ったからです。
社内スタッフが奥森さんに、30年のできごとを聞きました。
気がついたら、30年
――30周年と聞いて、最初に浮かんだものは何でしたか。
奥森さん: 毎年毎年、一年ずつの積み重ねだったので、その最中は30年先のことなんて考えていなかったんです。
今回、立ち止まって振り返って、初めて「ああ、30年が経つんだ」と。自分でも驚きましたし、この節目を迎えられることが、ただただ有難いなと思いました。
振り返り始めると、「あのときはこうだった」「あの方にお世話になった」と、一つひとつが今でも鮮明に思い出されるんです。目を閉じると、皆さんのお顔が次々に浮かんできます。
30年という数字よりも先に出てきたのは、皆さんへの「ありがとう」でしたね。
「教わることは、すべて暮らしの中にあります」
――奥森さんがPRISTINEに携わることになった、最初の出会いを教えてください。
奥森さん: 私の人生には、かけがえのない二人のボスがいます。一人は山田節子さん、もう一人はアバンティを創業した渡邊智恵子さんです。
若い頃の私はアパレルの企画デザイナーで、「ファッションが一番」と思っていました。ファッションが、この世の中の頂点にあるくらいに(笑)。
山田節子さんと出会って、それが大きく変わりました。
食卓には食があり、器があり、花があり、季節がある。着ることだけでなく、食べることも住まうことも、すべてがつながって「暮らし」になる。それまで知らなかった世界に、出会ってしまったんです。
毎日が楽しくて、からからに乾いたスポンジが水を吸い込むように、夢中で教わりました。器を見たり、美術館へ行ったり、お茶の世界に触れたり。失敗もたくさんしましたよ。漆の器をスポンジで洗ってしまって、「あなたたちは、もう」と呆れられたりね(笑)。
――奥森さんは、もともと食や暮らしが大好きな方だと思っていました。
奥森さん: 食べることは大好きでした。でも、「暮らし」というところまでは見えていなかった。
「私は何を勉強したらいいでしょうか」と尋ねたことがあります。すると山田さんは、こうおっしゃいました。
「ちゃんとした生活をしてみてください。教わることは、すべてそこにありますよ」
何かを覚えることでも、特別な場所へ学びに行くことでもない。朝起きてから眠るまで、365日の暮らしそのものから学ぶのだと。
今もまだその言葉を、「きっと、こういうことをおっしゃっていたんだろうな」と考えている途中です。でもこの言葉は、ずっと私の根っこにあります。
――その「暮らし」という考えが、今の「衣食同源」につながっているのでしょうか。
奥森さん: そうですね。山田さんからこの言葉をいただいて、もう40年近くになります。PRISTINEが30周年を迎える今になって、ようやく「衣食同源」というところへたどり着いたように感じています。
着ることも、いただくことも、その始まりには土があり、種があります。別々のものに見えていた「衣」と「食」が、暮らしの中ではずっとつながっていた。山田さんが教えてくださったのは、きっとこういうことだったのだと、今になって少しずつわかってきました。
――その山田さんが、渡邊さんと奥森さんをつないでくださったんですね。
奥森さん: 山田さんのご自宅での夕食会でした。「紹介したい人がいるから、ごはんを食べに来ない?」という、とても気軽なお誘いで。そこにいらしたのが渡邊智恵子さんでした。
あとから考えると、あれはお見合いの席だったんですね。
当時、PRISTINEという名前はすでにあり、オーガニックコットンでつくったタオルや靴下、リラクシングウェアなどのサンプルもありました。ただ、ブランドの考えを理解し、社内でものづくりを担う人がいなかった。そこで山田さんが私を紹介してくださり、私はPRISTINEを育てるためにアバンティへ入りました。
山田節子さんが、私と渡邊智恵子さんをつないでくださったことから、PRISTINEとの歩みが始まりました。
「これは、サンプルの枚数だよね」
――30年前は、どんなふうに商品をつくっていたのでしょう。
奥森さん: 一つの商品を5枚、10枚つくるようなところからのスタートでした。
工場さんにお願いすると、「奥森さん、これはサンプルの枚数だよね」と言われるんです。「いいえ、これが本番のオーダーなんです」と答えて。
「今はこれだけですが、いつか必ず恩返しができる日が来ると思います。だから、どうか長生きしてください」とお願いしました。
枚数は少ないのに、薬剤を極力使わないことなど、面倒な約束事はたくさんあります。「この枚数で、よくそんなことを言うよね」と断られることも、もちろんありました。
それでも私たちには、想いしかなかったんです。
こんなものづくりをしたい。着てくださる方は、きっと気持ちよくなる。綿を育てるファーマーや、これからの環境にもつながっていく。そう一軒ずつお話しして、「そこまで言うなら、やってみようか」と手を貸していただき一緒にものづくりが始まりました。
大きな資金や、立派な計画が先にあったわけではありません。こちらの思いを受け止めてくださる方が一人ずつ増えて、PRISTINEのものづくりが少しずつ形になっていきました。
「可愛がってもらっておいでね」
――工場の方の言葉で、今も心に残っているものはありますか。
奥森さん: 佐渡にある、ベビーの縫製工場でのことです。
縫い上がった小さな服を運送会社の方へ渡すとき、工場の方が声をかけたんです。
「う〜んと可愛がってもらっておいでね」
その言葉を聞いたとき、涙が出ました。
どこの赤ちゃんが着てくれるんだろう。かわいがってもらえますように。自分たちが手塩にかけて縫った服の、その先の暮らしまで思い浮かべて送り出してくださっている。
「ああ、これがPRISTINEのものづくりなんだ」と思いました。
日本でつくることの意味を聞かれることがあります。きっと、こういうことなのだと思うんです。つくった人が、使う人の姿まで思い浮かべられること。綿から服になるまで、たくさんの人の手を通るたびに、目には見えない何かが重なっていくこと。
私の忘れられない言葉です。
「PRISTINEを着ていれば、大丈夫」
――お客さまからいただいた、忘れられない言葉はありますか。
奥森さん: コロナ禍の、まだ先が見えなかった頃のことです。それでも仕事に行かなければならなかった、あるお客さまが、「毎日とても怖かった」とお話ししてくださいました。
あのときは、生きるか死ぬか、誰も経験したことのない未知の怖さを皆経験していましたよね。
その方はPRISTINEの服をとても大切にしてくださっていて、普段は「仕事に着ていくのはもったいない」と、一度も会社へ着ていったことがなかったそう。それが
「PRISTINEを着ていれば、私は絶対に大丈夫と思えたんです」と。
もちろん、そこに科学的な根拠があるわけではありません。それでも、その方にとって私たちの作った服が心のよりどころになった。私たちがしてきたことは間違っていなかったんだと、奮い立つほどうれしかったのを覚えています。
綿を育てる人、糸を紡ぐ人、生地を織り、編み、整える人、縫う人。その一人ひとりの想いを、服から受け取ってくださったのだと思います。
私たちがお客さまに寄り添っているつもりでいました。でも本当は、こうしてお客さまの言葉に、私たちのほうが何度も支えていただいてきたんですよね。
気持ちよくて、ちゃんと心が弾むもの
――ものづくりの転機になった商品はありますか。
奥森さん: チューブテレコのキャミソールです。
脇に縫い目のない生地に、当時はまだなかったオーガニックコットンのレースを合わせました。サンプルができたとき、これからのプリスティンには「あ、これだ」と直感的に思ったんです。
気持ちがよいだけでなく、女性が身につけたときに「わあ!」と心がときめく。気持ちよくて、チャーミング。それがPRISTINEらしさになると思いました。
そこから「肌から考えるものづくり」という言葉も生まれました。
――ふわぴたスワンブラができたときも、社内のみんなで盛り上がったのを覚えています。
奥森さん: 私たちは、アンダーウェアの専門家ではないからね(笑)。「こんなものがあったら、きっといいよね」というところから、工場さんにずいぶん無理なお願いをしました。
母がくれた、二つの贈りもの
――PRISTINEがあってよかったと、ご自身の暮らしの中で感じることはありますか。
奥森さん: 母のお世話をしている時でした。母は「おしっこが出ない、おしっこが出ない」と。紙おむつでは、出た感覚が本人にもわかりにくかったのだと思います。そこで、PRISTINEの布おむつを使ってみたんです。すると母が、「あ、あったかいおしっこが出た」と言いました。布を通して、出たばかりのおしっこの温かさを感じることができたんですね。
そのとき、言葉では伝えられない赤ちゃんも、きっとこの感覚を感じているのだと、母が教えてくれたように思いました。
使う人は肌で感じるんだということ。その気づきと、自分が手がけてきた布おむつで、母の最後の時間に寄り添えたこと。それは、母から私への最後の贈りものだったのかもしれませんね。
もう一つ、母が残してくれた言葉があります。
病室でPRISTINEのパジャマを着ながら、こう言ったんです。
「お母さんはね、ピンクの花柄が好きなのよ」
PRISTINEに色がない理由も、母はわかっていました。でも、正しいことだけでなく、人が明るい気持ちになれることも、大切なのだと教えてくれました。
母の「ピンクの花柄が好きなのよ」という言葉を聞いて、ふと目に入った色に心がほどけたり、好きな花柄に少し気持ちを持ち上げてもらったり。服には、心地よさや機能だけではない役割もあるのだと思います。
今、私たちが草木染めに取り組み、天然の色をもっと深めたいと思っていることにも、この言葉はつながっています。母が最後に残してくれた、大切な宿題です。
眠る前の、ほんのつかの間
――暮らしの中で奥森さん自身が「PRISTINEっていいな」と思うのは、どんなときですか。
奥森さん: 夜、眠るときです。
パジャマや寝具、タオル、カーテンまで、暮らしの中のファブリックはすべてPRISTINEです。それらに包まれて眠るその瞬間、「私は世界でいちばん幸せかもしれない」と思うんです。熟睡してすぐに朝が来ちゃうんだけど(笑)。
一つひとつに触れると、工場の皆さんのお顔が浮かびます。このカーテンはあの方がつくってくださった、この布団はあの工場にお願いした、ワッフルのタオルは洗っても端がきれいになるように何度も相談した――。
日本中の作り手の皆さんのものづくりの心に包まれて、過ごしています。
山田節子さんの教えである「暮らし」は、特別なものではありません。
散歩をする。バスに乗る。食材を買う。料理をする。掃除をする。街で、幸せそうに笑う若い二人や、親御さんが見ていないところで靴下を脱ごうとしている赤ちゃんを見つけて、ひとりで「うふふっ」となる。
そんな何気ない毎日の中に、次のものづくりの種も、私たちが大切にしたい幸せもあるのだと思います。
「今のPRISTINEを、ぜひ見てほしい」
――30年前のご自身や、当時の仲間に、いま言葉をかけるとしたら。
奥森さん: 当時の皆さんには、まず「本当にありがとう」と伝えたいですね。
始まりがあったから、今があります。立ち上げたばかりの頃は、利益が出るわけでもなく、大変だったと思います。それでも、ものづくりが好きで、PRISTINEを信じて一緒に走ってくれた人たちがいました。
その皆さんに、今のPRISTINEを見ていただきたいです。そして、「これから10年、20年先も見守っていてね」と伝えたいですね。
当時の自分には、「若かったわね」かな(笑)。若かったからこそ、「PRISTINEは絶対にこうなる」「いつか自分たちのお店を持つ」と疑わずに走れたのだと思います。終電がなくなって、白タクで帰るような日なんてしょっちゅう。でも、毎日がとっても楽しかったんです。
みんなで一生懸命になるって、ああいうことだったのかな。
――これから始まる30周年の一年を、どんな時間にしたいですか。
奥森さん: 30周年は、一度しかありませんからね。
ものづくりに関わってくださる皆さん、社員のみんな、お客さま。そして、この一年に初めてPRISTINEと出会う方とも、一緒にお祝いしたいです。
私たちは、たくさんの方から「ありがとう」と言っていただいてきました。でも、ありがとうをお伝えしたいのは、私たちです。
無に近いところから始まった小さなブランドを、一緒に育ててくださった皆さんへ。
30年分の「ありがとう」を、これから一年かけて、きちんとお返ししていきたいと思っています。
おわりに
一枚の服に、つくった人の顔が浮かぶこと。
心細い朝に、その服を着れば大丈夫と思えること。
使う人の姿を思いながら、「可愛がってもらっておいでね」と送り出してくれること。
PRISTINEの30年は、こうした小さな出来事を、歩んできた時間でした。
後編では、奥森さんが次の世代へ残したいもの、草木染めや「衣食同源」への思い、そして、みんなで食卓を囲む場所という新しい夢について聞きます。
PRISTINEが30歳の誕生日を迎える前日、9月13日に公開します。









