ものづくりストーリー

シンデレラパールができるまで


世界にひとつしかない、愛媛のパールの輝き

プリスティンの「シンデレラパール」ができるまでを取材しました。

すべてのものには生まれてきたストーリーがあります。

みなさまの手元に届くまでに辿ってきたものづくりの様子を、少し覗いてみませんか。

シンデレラパールとは

ちょっぴり角が出てしまっているものや形がまん丸ではない、生まれたままのパールをプリスティンでは「シンデレラパール」と名づけました。

シンデレラパールをネックレス、イヤリング、ピアスにしています。

愛媛県西予市へ

愛媛県は西予市。

山と、海と、みかん畑。目の前に広がる光景は、まるでマチュピチュみたい、と感動を覚えます。

真珠の養殖を見てみましょう

一粒の美しいパールが出来上がるまでに、それはそれは大変な手間と時間がかかります。まずは小さな貝を育てるところから始まります。小さな貝から3年育ててようやく”核入れ”ができる大きさになります。

真珠のもととなる”核”

巨大な貝の貝殻を切って丸く加工します。これが"核"です。
核の表面に層が巻きついて真珠がうまれます。

1mmの誤差も許されない、核入れ

アコヤ貝に真珠のもとになる”核入れ”をします。

5mmほどの小さいメスを使って、核を挿入します。

毎朝5時から作業がスタート。

訪問した11月はまさに大忙しの繁忙期。

ピン、とした職人の緊張感が現場に漂います。

核入れして再び海に、なんとその期間2年

核入れをしたら貝を海に戻します。なんとその期間、2年。

その間も、ひとつひとつ手作業で毎日貝が汚れていないかなどを海から引き上げてチェックをします。

落ちない汚れは陸にあげて掃除をするとのこと、とても手間がかかることがわかりました。

佐藤真珠さんの歩み

佐藤宏ニさんと佐藤和文さんは日本一の真珠の産地である、愛媛県で真珠の養殖を行っています。

平成9年ごろ、九州全県でアコヤ貝が大量に斃死。

当時25万個のアコヤ貝を養殖していた佐藤真珠さんでも残ったのは5万個ほどに。どうしたらいいのかわからない苦労の連続だったそう。

アコヤ貝の大量死でわかったのは、魚類養殖で使用していたホルマリンの薬害が海に大きな影響を及ぼしている、ということでした。

その後、佐藤さんをはじめ地元に人々がホルマリンの使用禁止を働きかけ、地元湾内でのホルマリン数値の検出を始めとした継続的な漁場調査、県政や水産庁などへの働きかけなどその活動は多岐にわたり、その努力が実を結び愛媛県では平成16年に全国でも初めての環境保全に関する町条例を発布しています。

そして、平成17年以降、アコヤ貝の異常な斃死は無くなったとのこと。

愛媛の海がまた元のきれいな海に戻ったのです。

山は海の恋人

佐藤真珠さんは段々畑を背に、穏やかな宇和海に向かって建てられています。

山から流れ出る豊かな水は真珠の形成に必要なカリウムを多く含み豊かな海を作ります。

無茶々園の生産者が農薬の使用を抑えたみかん栽培をすることで海の環境が変わったことを肌で感じていると和文さんは話します。

『次世代に美しく豊かな海を、そして次世代に引き継げる漁業を』という思いがそこにありました。

きれいな地球を子どもたちに残したい、という思いを胸にオーガニックコットンを取り扱うプリスティンは、愛媛で育てられているパール作りへの思いに賛同しています。

ふたつとして同じものがないのが魅力であるシンデレラパール。ぜひお手にとってみてください。 


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